信楽焼
「わび」と「さび」が醸し出す、やきもの信楽焼

信楽焼は瀬戸(愛知県)、常滑(愛知県)、丹波(兵庫県)、備前(岡山県)、越前(福井県)と共に日本六古窯の一つに数えられ、その起源は今から1250年以上の昔、天平14年(742年)聖武天皇が紫香楽宮(現在の信楽町牧・黄瀬(尚、現在宮町地区に宮跡らしい史跡が発見され調査中))に遷都された際に瓦が焼かれたのが始まりとされています。

産業として確立してきたのは、鎌倉時代に生活雑器として水瓶や種壺、擂り鉢が多く焼かれました。

室町時代になると、茶道が隆盛する中、千利休ら茶人が茶器として用いたことから信楽焼はその名声を高めていきました。

その後江戸時代には、茶壺、水壺、徳利、皿などが大量に生産されるようになり、明治に入ってからは、神仏具や酒器、茶器などの小物類も製造されるようになりました。

また江戸時代に始まった火鉢の生産も年々増産され、ストーブ等が普及するまで信楽焼を代表する商品となっていました。

その後火鉢の生産が減少すると植木鉢や盆栽鉢等が開発されるなど、時代の変遷と共に信楽焼も庭園陶器、食卓用品、建築陶器などを開拓し、バラエティーに富んだやきものは、日本を代表する陶器産地として知られています。


信楽といえばタヌキといわれる程に有名となっているやきものですが、その歴史は以外と新しく明治以降に作られ、現在のようなスタイルのタヌキは昭和10年頃、初代狸庵・藤原銕蔵によって生み出されました。それ以降、愛嬌ある顔立ちもあって信楽焼を代表するやきものとなっています。


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